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昨日の投稿で
実家の“墓じまい”ならぬ
“蔵じまい”を始めた
お話しをしました。
「自家製の味噌」や
「漬物」などを保管していた
夏でもひんやりの『味噌蔵』は
30年近く放置されたままでしたが
実は…農機具倉庫の2階も。。。

「忙しい」「めんどくさい」
そんな理由で先延ばしにした挙句
「アレ⁈どこへいった⁈」
「ココに置いたはずなのに‼」
大事な書類を探し回っている様な
仕事場環境を根本的に改善し
経営者の『1日を30時間にする
リニューアルデザイナー』のブログへ
ありがとうございます❣
・・・・・・・・・・・・・・
父が健在だった頃は
週末ファマーの兼業農家で
本業だった大工道具と共に
農機具や用品をしまっておく
倉庫/長屋(ながやと呼んでいます)が
あります。
30年ほど前に
父が亡くなってからも
会社員だった弟と母とで
しばらくは頑張っていましたが
さすがに年齢的にも厳しくなり
米作りの全行程を
地域の法人さんへ丸投げに
実家で作るお米は
本当に美味しかったのですが
残念ながら今は。。。
食べる事ができません
米作りをやめてからは
農機具も大工道具も
使って頂ける方にお譲りしたり
処分したり。。。
“倉庫/長屋”の景色は
随分変わっています。
そんな“倉庫/長屋”には
2階があり
現在の母屋を新築する期間
(50年も前のことですが
)
仮住まいとして過ごした
時期もあります
母屋が完成してからは
しばらく使っていませんでしたが
“ひいおばあちゃん”の
介護のために
両親の部屋を明け渡すことに。
(当時。。。
ひいおばあちゃんとおばあちゃんが
同室で、おばあちゃんが根を上げて
)
そこで両親が離れとなる
長屋の2階に
再びの仮住まいとなった訳です。
介護保険の無かった時代
長男の若嫁として
(既に40歳オーバーでしたが
)
母が一手に担って
100歳で見送りました。
。。。と
50代の半ばになった母は
病院嫌いだった父の
いきなりの
余命宣告を受ける事に・・・
病気がわかってから
半年程でした…
最後のひと夏
孫達(子ども達)と元気に過ごし
秋に仕事復帰して間もなく・・・
父の入院中の付き添いや
逆さ見送りとなった
祖母(姑)のお世話など
短期間に襲い掛かった
母の非日常で
パニックだったであろうことが
30年前に時間が止まったままの
部屋をみて
しみじみ感じたのでした。。。


娘とのタックルで
丸2日程のアフターが…

▲
2つのタンスの中は。。。
空です

▲
衣装ケースの多さに
改めて唖然。。。

まだ完成では無いですが
先は見えてきました

この文机は・・・
8歳ほど年上の従弟のモノで
(処分に困った叔母が実家に送り付けたのでしょう)
父が使っていた様です。
▼

この上も散乱していましたが
ビフォー写真を撮り忘れてました
引き出しの中も
文房具や書類など父のモノが
まぁまぁ一杯に入っていました
空になった引出しの底からは・・・


▲
従弟のイタズラ書きが。。。
(上手いじゃん
)
『怪物くん』ですね❣

押し入れを開けて見つけた
『千両箱
』
娘が「千両箱だぁ~
」
と興奮していましたが
▼

素材は段ボール
もれなく洋服が
詰め込んでありました
懐かし過ぎる
ダイヤル式の
“黒電話” ☎
▼

フリフリの服を着せるのが
流行りましたよね
こんな感じで
▼

懐かしい
と、思い出に浸っている間では
なのですよ‼
。。。実は
奥にもう一部屋ありまして
なかなかに
遣り甲斐のある状態に
ございました(笑)
今日はここまでです。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました
決して、鼻息荒く独りよがりで気ままに
生きていく宣言でも意味でもありません。
女性起業家が様々なしがらみに
紆余曲折をしながら
もがいてもがいて掴んだ人生だからこそ
「わたし」として生きていくと
決断できた今があるということです♥
私自身が、数えきれない
お陰様を頂きながら
今のご縁に繋がっています