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最近“墓じまい”という言葉を
よく耳にする様になりました。
気になるお年頃に
なったからでしょうかねぇ…(^-^;
実家では弟主導で
“蔵じまい”の準備が進んでいます。
「忙しい」「めんどくさい」
そんな理由で先延ばしにした挙句
「アレ⁈どこへいった⁈」
「ココに置いたはずなのに‼」
大事な書類を探し回っている様な
仕事場環境を根本的に改善し
経営者の『1日を30時間にする
リニューアルデザイナー』のブログへ
ありがとうございます❣
・・・・・・・・・・・・・・
7月に続いて
先週末から4泊5日で
実家の片付けのために
帰省してきました。
7月は母屋の片付けが主でしたが
今回の帰省は。。。
ーーーーー
□1世紀近くなるであろう
土壁の味噌蔵を解体する
“蔵じまい”の準備と
□30年近く放置されたままの
長屋(農機具倉庫)の2階の片付け
ーーーーー
が大きな目的でした❣
そもそも“蔵じまい”
などどいう言葉は無いですが
“墓じまい”の様な感覚でいます。
私たち姉弟が体力のある内に
片を付けておかなければならない
課題の1つなんですよね
ちなみに。。。
田舎アルアルですが
子どもの頃には
「お味噌」は自家製でした
お味噌の材料となる
大豆も自家製
麹も作っていた様な…
お味噌作りを
手伝っていた記憶も
残っているんですよね
母屋で下ごしらえをした後
『味噌蔵』と呼んでいた
保存蔵へ運ばれ「樽」の中で
熟成されたのだと思います…❣
思います。。。というのは
実は…『味噌蔵』へは
入った事がなかったので
下ごしらえ以降の状態は
知らないんです
当時は主に祖母が管理していて
「わらび」などの山菜漬けや
「梅干し」「梅酒」なども
作っていました
食品が貯蔵してあるからなのか
重たい樽や漬物壺があり
子ども達には危険⚠との判断からか
近寄らない様に
漆の葉が蔵を取り巻いていたんです。
「漆にかぶれるから⚠
味噌蔵には絶対に近寄ってはダメ」と
繰り返し注意されていたので
真面目な長女気質な私は
一切覗くことはありませんでした
それは大人になってからも続き
(気にはなりつつ・・・
必要性が無かったこともあり)
今回の帰省で。。。
63歳で初めて『味噌蔵』に
足を踏み入れたんです
自家製の味噌も梅干しも
作らなくなり
祖母が山菜つけも止めてから
『味噌蔵』は放置状態。。。
(かれこれ30年近く…)
▲
鳥取県西部地震(2000年発生)にも耐え
気丈に立ち続けている味噌蔵を見るたび
昔の建築の素晴らしさには
感動しています
ただ。。。
内部の棚など経年劣化は酷く
地震か自然なのか・・・
エライ事になっていました
(手入れしていない訳ですからねぇ)
弟の指示で
自然に戻る食材(漬物等)や木材
埋め立てても影響の無い石など
そのままで良いよ❣
との事だったので
樽や壺の中身(食材)は土間に出し
▲
恐る恐る蓋を開けると・・・
中身は「梅酒。。。?」
▼
これは「梅干し…?」
▼
わらび漬け(多分。。。)は
虫でもわいたの⁈と
思う様な状態で
恐怖で写真に撮り損ねました
そして
プラスチック容器や金物などは
せっせと外へ排出しました❣
まぁ「樽」も「壺」も重い重い
中身を土間にひっくり返すのも
難儀な作業でした
それでも
蔵内で完結できたので
▲
空にした
「樽」と「漬け壺」を並べて
しばし達成感を
▼
土壁の『味噌蔵』って。。。
味噌の発酵など
必要な“菌”が存在している
からなのでしょうかねぇ
絶対に腐敗していると思われる
わらび漬けも味噌も梅干しも。。。
キッチンで腐敗させた時の様な
嫌な匂いが一切しなかったのが
不思議…でした。
7月の時同様。。。
1時間もかからないで
荒れ果てた『味噌蔵』の中を
整備したパワフルな姉貴(私)に
と驚きの苦笑状態の弟でした
もちろん今回も
頼もしい助っ人“娘”の働きが
あってこその成果です
▲
『味噌蔵』の解体で邪魔になる
もみじの木を伐採するという弟に
と、シャベルで掘り起こそうとする娘に
と、再びの苦笑いの弟なのでした
今日はここまでです。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました
決して、鼻息荒く独りよがりで気ままに
生きていく宣言でも意味でもありません。
女性起業家が様々なしがらみに
紆余曲折をしながら
もがいてもがいて掴んだ人生だからこそ
「わたし」として生きていくと
決断できた今があるということです♥
私自身が、数えきれない
お陰様を頂きながら
今のご縁に繋がっています